いつか来た道、いつか行く道

「そういえば、これからウィスキーはどうなるんだろうな」

水割りをちびりちびりと舐めながら
ふとそんなことが気になった。

「だったらおとなしくバーボンにしとけよ」

と、一つ空いた隣の席でロックをあおる義弟が
視線を合わせることなく茶々を入れる。

「EUから離脱してもしなくても
日本とは“外国”ってことは変わりませんから
たぶんそんなに変わることはないでしょうね、
スコットランドがイギリスから独立して
単独でEUに復帰することになっても」

古い付き合いのバーテンダーもまた
そんな些細な呟きを聞き逃さなかった。

「なら一安心ってとこかな」
「それどころか、円高が当分続くようでしたら
今まで以上にお安く手に入れることもできるかと」
「IWハーパーの12年物もか?」

どうやら撩もしっかり聞き耳を立てていたようだ。

「まぁ、ドル安ならそうなりますね」
「じゃあ香のやつ、そのうち輸入食料品を
ごっそりどっかで買ってくるだろうな」
「ブランド品のバッグじゃなくて?」
「それはお前んとこのカミさんだろ」

と言いつつ、堅実なパートナーに恵まれたこの男の
表情はどこか自慢げで嬉しそうでもある。
ちなみに、冴子の名誉のために言っておくが
彼女にとってブランド品というのは
安くなったからといって飛びつくようなものではない
といったらかえって嫌味だろうか。

「でもニュースでイギリスだかどこかの極右の政治家が
言ってたな、日本は素晴らしいって
余計な移民も難民もきちんとコントロールされてると」
「それって要は有無を言わさず門前払いってことだろ」

何割かの偽物が混じっているからって
全員まとめて「お引き取りください」かよと
撩は吐き捨てる。

「そうはいっても外国人はずいぶん増えてるみたいだがな。
今度のオリンピックの代表選手でも、各競技に一人は
ハーフの選手がいるんじゃないか」
「サニブラウン、はほぼ絶望的みたいだが
ケンブリッジに、あとサッカーでも2人ばかしいたよな」

彼の口からすらすらと名前が出てきたのに少々驚いた。
スポーツに疎いというわけではないが
国際大会のようなナショナリズムの発揚の場でもあるものには
心理的に距離を置いているものだと思っていた。

「そういやそいつらって、ほぼジェイクと同じ年代だよな」
「あ、ああ。だいたい20歳前後ってとこだな」
「だったらその親が日本に来たのもミックと同じ頃か」

そう考えるとトップクラスのアスリートも
なんだか身近に思えてふと笑みがこぼれる。
確かに、ほぼそのくらいの年代から
外国人がそれまで以上に身近な“隣人”になったような気がする
腐れ縁のジャーナリストを除いても。そして彼らの国籍も
通り一遍の欧米のみならず、アジアやアフリカなど
多彩になっていったのもその頃だろう。

「“こういうところ”に暮らしてると
外国人やハーフが近所にいるのも当たり前ってなるけど
意外とその“外”でも増えてたんだよな」
「もしかしたら数でいえば終戦直後並みかもしれんな
衣笠祥雄とか、前田美波里とか」
「草刈正雄とか」
「撩、お前実は日本育ちだろ【苦笑】」

そんなとき、ふと頭に浮かんだのは
98年の自国開催時のサッカーW杯フランス代表だった。
ジダンやアンリ、デサイーなど移民の子だった主力選手たちが
“自国”を世界一に導き、同時に融和の象徴となったのだ。
それが――

「“Britain First”か」

唐突に撩が呟く。それは決してイギリスだけの話ではない。
トランプにとっては“USA First”だろうし
ルペンにとっては“France First”――いや
誇り高きフランス人にとしては”France le Premier”か。

「いやむしろ、連中の本音は“Britain Only”なんだろうな。
一人のテロリストも入れないために、難民を一人も入れたくない
イギリスさえ良ければ、他はどうなったってかまわないんだろうから」

彼の言葉の苦々しさが増していく。
それを端的に言ってしまえば「一国平和主義」だ。
この国が平和であることだけで良しとして
海の向こうの惨状には知らぬふりをしとおす。
撩もまた、そんな無関心に翻弄された一人なのだから。

だがこの国は、このままではいけないと気づき始めている。
それは弱肉強食の国際情勢に晒されているからだけではない
「日本」という国が、もはや「日本人」――数千年前から列島に住み
日本語を母語とし、黒い髪、黒い目、黄色身を帯びた肌の
島国根性の農耕民族で、和を以て貴しと為し
長いものには巻かれて、空気を読むのが必須スキルの
そんな、少なからず俺も含まれるマジョリティーだけの
ものではないと判ってきたからではないだろうか。
外国人、LGBT、それらにも含まれないマイノリティー。

それは欧米からすれば、いつか自分たちが通ってきた道だろう
ちょうど20年前のフランスのような。だがその20年後といったら
ドナルド・トランプであり、BREXITであり
その他さまざまな排外主義の横行だ。
ならば日本も、これからそうなってしまうのだろうか?

「――なぁ撩」
「なんだよ、槇ちゃん」
「これから日本はどうなるんだろうな」

義弟は慎重に言葉を紡いだ。

「――言うなれば『ろくでもない兄貴ばかりいる弟』
みたいなもんだろうな。もしかしたら同じ轍を踏むかもしれない
だが――そういう兄貴たちを身近に見てきた分
そうならないだけの方法を考えられるのかもしれない」

ちょうどこの国は、グローバリゼーションにおいては
“周回遅れ”の位置にいるといえる。欧米が
その閉鎖的な背中を追いかけているような。
でもその周回コースをたどる必要はないのだ
これからいくらでも違う道を走ることができるはずだ。

「――そうあってほしいもんだな」

そういうとき、いつも脳裏に蘇る記憶がある。
今でこそ円高差益に嬉々として買い物に走る妹が
まだ幼い頃、生まれついての赤い髪を
近所の悪ガキどもにからかわれたと
泣きついてきたあの顔が、今も忘れられないのだ。

英国民投票、EU離脱派が勝利へ=BBC - ロイター