恋はカーニバル

男の依頼人だと撩がやる気をなくすのは
昔も今も変わらない。今回だって
「人探しはスイーパーの仕事じゃねぇ」と
ごねるのを無理やり引きずってだった。
もっとも、宥めすかしてとまではいかなかったのは
探すのがあいつ好みの美人の人妻だったから。

そんなわけで、美人には鼻の利く
撩の嗅覚を以てすれば
彼女を見つけ出すこと自体は朝飯前だ。
が、問題はその後始末だった。

彼女は依頼人という夫がいながら
若い男と恋に落ち、その彼と東京まで
云わば駆け落ちしてきたのだ。

「だって好きになっちゃったんだもん、か……」

頬杖をついて、魂が抜けきってしまったような
表情を浮かべながら、撩が独りごちた。
それが彼女の口にした、唯一の出奔の理由だった。
そして、ついさっきまでここCat's Eyeで
彼女と依頼人、そして彼女の現恋人を交えての
三者会談があたしたちの立ち合い付きで繰り広げられていた。

依頼人との連絡はもっぱら
あたしの仕事だったからかもしれないが
彼に奥さんに逃げられるような落ち度は見受けられなかった。
確かに決してエリートというほどではないけれど
その代わり家庭を顧みないほどの仕事人間ではなかった。
子供想いのマイホームパパ。あたしが奥さんだったら
逆に首に縄を付けてでも手放さないところなのに。

「撩でも理解不能?」
「『撩“でも”』ってのはなんだよ、“でも”ってのは」
「だってあんた、いっつも美人を見かけると
見境なくほいほいついてっちゃうじゃない。
この万年発情期男が」
「万年発情期ねぇ……」

3人分の、さして手のつけられなかったコーヒーカップは
すでにボックス席のテーブルからは取り払われていた。
だが、さっきまでの重苦しい空気までは
海坊主さんや美樹さんでも片づけることはできなかった。

「まぁ、もし人間にも発情期ってのがあったら
あのもっこり奥さんの行状も不問に付されるだろうな」

相変わらず腑抜けたような、焦点の定まっていない眼で
窓の向こうを見遣りながら、撩がそんなことを口にした。

「それってどういうことよ」
「猫や犬なんかは年に1度か2度
発情期ってのがあるだろ。その間はみんな
ヤることだけしか考えられなくって
眼が血走ってるってわけだ」

確かに、近所の猫はあらかた不妊手術は受けさせたけど
耳に切れ込みの入っていない新参者も混じり込んでいるから
そういうのに春先迂闊に近寄ると、文字どおり
痛い目を見ることになる。

「そうなると、人間だったらそれまでの社会のルールなんて
その1ヶ月やそこらの間、全く意味が無くなっちまうだろうよ。
それまで一緒に暮らしていた家族なんてそっちのけで
東にいい女がいれば行って口説き落として
西にいい男がいれば居座って押しかけ女房に納まって、って」
「まるでお祭り騒ぎね」

祝祭の持つ意味は無礼講にある、ということは
おそらく学校で教わるようなものではないから
何かの本で読んだのだろう。
そういった一時的な価値観の逆転が
ある種のガス抜きとなり
秩序の維持の一助となると。

「まぁ、日本のお祭りだって陰のメインイベントは
暗がりでの村を挙げての乱交パーティーだったっていうからな」

と、いつもの下卑た笑みを浮かべるから
こっちも思わずハンマーを召喚したくなる。

「でも、その1ヶ月やそこらが終わったら
また元の素知らぬ顔に戻って、残りの11ヶ月
色気の『い』の字も無い生活を送るってわけだ」

でも女たちの中には腹ボテで戻ってくるやつも
少なくないんだろうな、なんて言うから
とりあえず脳天にミニハンマーを落としておく。

「けど、実際はそうじゃないからな。
人間、いつだってヤってヤれないことはないだろ?
つまりは『万年発情期』ってことさ。
でもそれは同時に、恋愛ももっこりも
素面の日常の中と隣り合わせでもあるんだよ。
いくら惚れた腫れたっていったって
社会のルールを破っていいわけじゃない。
人間なんだから、それくらいの理性は
あって然るべきなんじゃないのか?」

そう高説をふるうと、喉の渇きを癒すべく
アイスコーヒーのグラスに手を伸ばす。

「ねぇ撩」
「なんだ」
「あんたがそれ言う?」

グラスの中でいくらか吹いた。

「あのな、こちとらずーっと
心のブレーキべた踏みだったんだぞ!」

それはこっちの台詞だ。あたしだって
18歳の5日前からこの方ずっと
撩がこの世で一番好きなのは変わらない。
でも、だからといってその想いのままに
突っ走ることはあたしにはできなかった。
それよりも大切なことがあるから
仕事とか、家のこととか、もちろん撩の気持ちとか。
おかげで今でもそれが習い性になってしまっているようだ。
だからだろうか、彼女の気持ちが
さっぱり理解できなかったのは。

「それでも、ずっと安全運転ばっかだと
たまにはアクセル全開でぶっ飛ばしたいって
思うのも無理はないさ。でもな
公道レースだけはやめてもらいたいもんだよな
周りにまで余計な迷惑がかかる。
やるならサーキットでやってくれ
もちろんそれなりのテクニックは要るが」
「ねぇ――」
「ん?」

さっきまでの長広舌とは打って変わって
あたしの不安そうな眼をじっと覗き込んだ。

「あの奥さん、これからどうなるんだろう」

一応、さっきまでの話し合いの結論として
家には戻らず、今の彼と暮らすということに落ち着いた。
だが、

「さぁな。あの男ともいつまで続くやら」
「やっぱり……そう思う?」
「ああ。きっとまた繰り返すさ
『好きになっちゃったんだもん』って」

そして、ほぼ氷ばかりになってしまったグラスを
ストローで弄ぶ。

「きっと彼女は『恋』しか知らないんだろうよ」
「『恋』か……」
「それこそ発情期のケダモノみたいな
一瞬で燃え上がっちまうような感情さ。
でも、燃え尽きちまえばそれだけ」
「――それはまだ冴羽さんもお盛んなんじゃないの?」

アイスコーヒーのサーバー片手に
美樹さんが話に割り込む。
さっきまで、当事者3人が帰ってからも
カウンターの奥であたしたちをじっと見守っていたけど
どうやらグラスの中身が少なくなってきたと察したようだ。

「相変わらずふらふらしてるみたいじゃない
香さんというパートナーがいながら。
それじゃ偉そうに人のこと言えないんじゃないの?」

と、あたし以上に叱ってくれるのは嬉しいんだけど

「一緒にしないでくれよ。
そりゃ今でももっこり美人にゃ
ついふらふらと行きたくもなるさ。
でも、香泣かせて失くしてまでも
欲しいって女には今まで出逢ったこともないんでね」

――きっと、人間に発情期というものがあったなら
男と女の間にある感情に
『愛』という言葉は使わなかったかもしれない。