タナトスの誘惑

また病室に逆戻り、か……
今度は広大な和風建築の中にある
私設ラボ&クリニックというなどという変わり種ではなく
ごくごく普通の総合病院、といっても
病室の中の景色はどちらも大差は無かった。

“教授”と呼ばれる老医師のもとでの
治療とリハビリを耐え抜いて、
“本家”シティーハンターとして
カムバックを果たそうとしたのが数週間前。
というのに、亡命中の某国大統領の生命を狙うヤカラの
爆発騒ぎに巻き込まれ、おかげで今度は
首の周りに無粋なギブスがぐるぐる巻きだ。
まったく、全然ダンディーじゃないね。

それ以上にダメージだったのは……
あのとき、銃爪を引けなかったことだ
カオリを人質に取られていながら。
手の中の銃はグロック17、使用弾丸は9mmパラベラム
かつての愛銃・デザートイーグルに比べれば
反動は大したことはない。
だが、それでも撃てなかった――
日常生活を送るためのリハビリが最優先で
銃については後回しだったこともあるが
床に就いていた数ヶ月の間の己の衰え
それ以上に、この両腕に刻まれた
再起不能な傷という現実をまざまざと
眼前に突きつけられた思いだった。

――いったいオレは、これからどうやって生きていけばいいんだ。

12歳で初めてハンティングに連れて行ってもらってから
それよりも小さい頃から裏庭で、空き缶の的を並べて
父親に後ろについてもらいながら
射撃の練習を始めらときからずっと
この右手には銃が握られていたようなものだった。
不本意な理由で、若いうちから裏の世界に
飛び込まざるを得なくなってからも、ずっと。
それ以来“相棒”はころころ変わったものの
銃の腕一本だけでこの世界を渡ってきたのだ。
それを奪われるのは、オレにとっては
ミック・エンジェルという名前を奪われるのにも等しかった
自分の人生のすべてを失ってしまったという点において。

ふと、窓の外を見遣る。
病棟はけっこうな高層建築のようだ
――ここから身を躍らせれば
そんな苦悩からも解放されるのかもしれない、と
キケンなユウワクが囁きかけようとしたタイミングで
音もなく病室のドアが開いた。

「――ファルコン、か」

オレもアメリカではNo. 1と呼ばれた男
ヤツとは仕事でやり合ったこともあった。
もっとも、ここ数年は拠点を母国・日本に置いて
しかも年下の女パートナーに
骨抜きにされたというウワサだったが
今、全身から発する只者ではないオーラは
それがただの噂に過ぎないと証明していた。

「死のうとでも考えてたか?」

口髭の下が意地悪く歪む。
もうずいぶん目の方は悪化していると聞いたが
逆にそういう人間の方が
常人には見えないものが「見える」ともいう。
だが一方で、そのハンディキャップはもちろん
スイーパーとしてデメリットになっている点も否めないはずだ。
ならば、今のオレの気持ちを一番よく判るのは
この目の前の男をおいて他にいないのかもしれない。

「オマエはどうだったんだよ」
「俺か?」

余裕綽々といった笑みを浮かべる。
だがその言葉は表情から程遠かった。

「もうずいぶん昔のことだがな。
手遅れだと言われた。1年後か5年後か
10年後かは判らないが、それまで生きていたら
間違いなく失明すると。
もっと早くに医者にかかればなんとかなったのかもしれんが
あいにくその頃はジャングルの真っただ中だったからな」

黒々としたサングラスで目を隠しているせいもあるだろう
何の感情も示すことなく、淡々と彼は語り続けた。

「生きていても仕方がないと思った。
自ら生命を断つことも考えた。そうでなくても
どこかで死に場所を探しているようなところもあった
このままくたばっても、むしろ本望だと。
だがな――あるときふっと気がついた
俺が死ぬのは俺の勝手かもしれんが、それは
自分以外の目の見えない人間に対して
『お前たちも生きていたってしょうがない』と
言っているのと同じだとな
――目が見えなくたって懸命に生きている人間はいくらでもいる
中には生まれてこのかた『物を見た』ことがない者だっている
彼ら全員の人生を否定するようなことは、俺にはできなかった」

――両手を目の前で広げた。
白い手袋の下には醜いケロイドが広がっている。
パジャマと手袋の間のわずかな隙間からも
それは覗いて見えていた。

「それに比べりゃお前の悩みなど屁みたいなもんだ」
「Come again(なんだと)?」
「五体満足に生まれついても“ハンドキャノン”を
ぶっ放せない奴なんて、世の中ごまんといる。
たかだかそいつが撃てなくなったぐらいで死のうなんぞ
そいつらに失礼だと思わないか?」

悔しいが、ファルコンの言うとおりだ。
確かにずっとオレは銃の腕を頼みに今まで生きてきた。
だが銃など撃てなくても、今まで一度も撃ったことがなくても
真面目に生きてきた人間は大勢いる、というかむしろ
この世の中の大多数だろう。そしてオレは
その“大多数”の一員になっただけなのだ。
それは、死ぬほど哀しむべきことでもないんじゃないか。

「――あら、海坊主さん。いらしてたんですか?」

花束と果物、そして紙袋いっぱいの着替えを抱えて
カノジョが今日も病室へとやってきた。
それだけでこの殺風景な部屋が華やぐのは
アイのチカラだけではないはずだ。

「あ、うん、その……邪魔したな//////」

それに一番不似合いな男は、スキンヘッドを真っ赤に染めて
そそくさと部屋から退散していった。

「ミック、海坊主さんと何話してたの?」

どうせ見舞いに来るやつが必ず持ってくるからと言っているのに
カノジョは毎日、教授の屋敷から花を持ってきてくれる。
誰も持ってきてくれなかったら淋しいからと。
その花をベッドサイドの花瓶に活け直しながら、そう訊いた。

「ソーリー、カズエ。こればっかりは
オトコとオトコのヒミツなんだ」

それに、今オレが死んだら心から悲しんでくれる人が
こうして、ここにいてくれる。
だから、死神の誘惑に身を任せるわけにはいかなかった。

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