1989.12/Goodbye, Humpback

「はい、one two, one two!」

軽快なビートに負けじと手拍子が響く。
そのリズムに合わせて美男美女たちが
肩で風を切るように歩き、ポーズを決めると
颯爽とターンを決め、歩き去っていく。
その容貌もさることながら、姿勢の美しさ
舞台上を歩く一連の動きが様になっていることに
思わずぽーっと見惚れてしまっていた。

久々に再会し、いつの間にかファッションデザイナーという
長年の夢を叶えていた旧友にショーのモデルを頼まれ
とはいえそっちはずぶの素人、彼女に恥をかかせないようにと
モデルスクールで特別レッスンを受けさせてもらう日々。
といっても通常クラスにこっそり混ぜさせてもらっただけだけど
ここにいる子たちはまだタマゴか駆け出しで
上にはまだまだ上がいるという話を聞けば
溜息しか出てこない。

あたしなんかようやく、ハイヒールを履いて
きれいなモデルウォーキングで
一往復できるようになったというところ。
でもきっと本番では膝がガクガクするほど緊張するだろうから
今できることの半分も出せないかもしれない。
だからせめて、練習で150%くらいはできないと……
そんなあたしが仰ぎ見るような彼らレッスン生の
そのまた上の上の……となるともはや雲の上の世界だ。

けれどもこの仕事をしてると、プロのモデルさんなんかも
相手にしてきたけれど、改めて彼女たちの凄さ
どれだけ選ばれた存在だったのかというのを思い知らされる。
でも――それはどの世界も同じなのかもしれない。
撩だって、あたしから見ればただのもっこりスケベなのだが
見る者によっては「裏の世界No. 1スイーパー」なのだし。

「かおりー、調子どう?」
「絵梨子」

ちょっと恥ずかしいところを見られてしまった
単調なレッスンに飽きて、壁にもたれて一休みしてるところを。

「ちょっと陣中見舞いに、と思ってね」
「わざわざ来なくていいのに……
忙しいんでしょ、ショーの準備」
「何言ってるのよ、モデルの仕上がりチェックも
仕事の内よ」
「ごめんね……本番恥かかしちゃったら」
「ううん、香だったら大丈夫よ。まだ時間はあるんだし
筋だったらわたしが保証するもの」

これでもオーディションでどれだけのモデルを見てきたと
思ってるのよ、とエリ・キタハラのチーフデザイナーは胸を張る。

「それに――昔の香だったらともかく
今のあなただったら充分問題ないわ」
「昔の――って」
「ほら、香ってちょっと猫背気味だったじゃない」

その言葉に、10代の頃の記憶がありありと浮かんだ。

あの頃のあたしは、女子にしては伸びすぎた背を持て余していた。
絵梨子は格好いいと言ってくれたけれど、同じ制服に身を包む
可愛らしい背丈の同級生の群れの中では明らかに悪目立ちしていた。
その中に少しでも紛れようと、いつの間にかあたしは
背中を少しだけ屈めるようになっていた。学校にいるときは特に。

「――だから見違えちゃったわ、表参道で見かけたとき
あんなにシャンとして自信満々で歩いてて」
「撩が言ったんだよね、背筋を伸ばせって」
「冴羽さんが?」
「うん。あいつもひどい猫背なのに」

と笑ってみせたが、それがたぶん撩があたしに
初めて教えてくれた、裏の世界で生きるための教訓。
背中を丸めているとオドオドして自信がなさそうに見える
それだと襲ってくれと言ってるようなもんだと。

そう言われてから、少しは意識したような気がする。
でも次第にそんなことはどうでもよくなってしまった
身につけなければならないことが多すぎて。
背中を丸めている暇などなかった
それより少しでも背伸びしようと必死だった
あたしの隣の撩の大きな背中に少しでも追いつきたかった。

「でも、冴羽さんも大したものよ」
「撩も?」

あいつもあたしと同じようにウォーキングのクラスに
放り込まれたが、レオタード姿の女性モデルに
あまりにもちょっかいを出すので、撩一人だけ隔離して
講師(♂)と1体1の、正真正銘の
『特別レッスン』を受けさせられていた。

「ここに来る前に先生と話してきたんだけど
『何かスポーツとかやってたのか』って」

スポーツどころか、身体を資本ではなく武器にして
鍛えに鍛え抜いて今まで生きてきたのだ
そんじょそこらのアスリートとは比べようがないだろう。

「こういう仕事してると、ショーの特別ゲストとして
スポーツ選手にランウェイを歩いてもらうってこともあるのよ。
まぁほとんど代理店の持ち込み企画なんだけど
そういう人たちのレッスンも担当してる人なの。
でも、先生が言うには一流のスポーツ選手は基本が出来てるんだって。
彼らって、日夜身体をどうしたら効率よく動かせるかを
追及しているわけでしょ? そういう無駄のない動きって美しいのよ。
だからあとはショー用の小手先のテクニックだけでいいそうなの」

確かに、そうそう目にするものではないけれど
あの撩が背筋をぴんと伸ばして佇む姿は
さすがはNo. 1スイーパーと見惚れてしまうほどだ。
でも一方で―― 一流デザイナーの絵梨子があたしに
モデルの適性を認めてくれたってことは
その惚れ惚れしてしまうような撩の立ち姿に
あたしも多少は近づけているのかなと思えた。

コンビを組んでもうすぐ5年、その間
どれだけ成長できたのか、どれだけ撩に相応しい
パートナーになれたのか、まだまだ思い悩むときもある。
けど、ちゃんとあいつに近づけているのだ
何も知らない猫背の少女の頃からは。

「何よ香、にやにやしちゃって」
「え、してないわよぉ」

もちろん、いつかはパリのランウェイを目指す彼らのように
あたしの夢も果てしないけれど。