1991.10/Sorrow and joy are today and tomorrow.

こういうのを“lucky break”というのだろうか
日本語でいえば……確か「ケガのコウミョウ」
これもまさに文字どおりの意味だ。

ミス・ハヅキの依頼に乗せられ、亡命中の大統領なんて
VIPの護衛に駆り出された挙句に
己のスイーパーとしての限界を突き付けられるわ
リョウとカオリには見せつけられるわ
しまいには首まで傷めるわ、もう
“from the frying pan into the fire”
(踏んだり蹴ったり)だった。

その結果、またもホスピタルに担ぎ込まれることになったが
そこで主治医に両手の火傷の跡まで見られたのは致し方ない。
なので思い切って、あれからときどき覚える
ササイなイワカンなどについて訊いてみたところ
そこはさすがOS(整形外科医)、
リハビリの専門施設を紹介されて
今はそこのPT(理学療法士)にメニューを組んでもらい
こうしてトレーニングに精を出しているというわけだ。
カズエにもこうして一度は社会復帰を果たすまで
いろいろ考えてはもらったが、やはり
“better leave it to the specialist(餅は餅屋)”
とはいえカノジョを交えて相談しながら
トレーニングメニューを考えたりと「サンニンヨンキャク」で
リョウに「こんな腕」と呼ばれてしまったときからは
少しずつ状態は良くなっているんじゃないだろうか。
だが、目標はあくまでマグナムは無理でも
せめて9mmパラベラムくらいは……なんてことは
カズエにもトレーナーにもまだ言ってはいないが。

「ミックさん、ずいぶんいい汗かいてますね」
「Yup(ああ)、これだけハードにしごかれりゃあ」
「上着脱いだ方がいいんじゃないですか?
火傷の跡は汗をかきづらいんですから」

服を着ていれば余計に熱は籠りやすくなる
だがオレはトレーナーの親切をスマイルで断った。

ここはリハビリ施設なだけに、オレ以上に
ケガの状態が重い者――wheelchair(車いす)だったり
義足を付けての訓練だったりという人たちも多い。
そういう姿を見るたびにオレ自身
気が引き締まる思いなのだが、彼の姿は
気だけでなく全身がギュッと引き絞られるかのようだった。

左脚は膝の上から無く――それがオレにとっては
ある男を思い出させた、というわけではない
その上に続く左半身は、あらわになった腕から
頬にいたるまで、火傷と植皮の跡に覆われていた。

その彼は、オレとはさほど離れていないところで
トレーナーとone on oneで、きれいな方の右腕で
ダンベルを上げ下げしていた。
そのウェイトたるや、今のオレにとっては
センボウのマナザシで見るしかない重量だ。
そして当然その腕には、欠損した肉体には
不似合いなほどの隆々たる筋肉。

「ああ、あの人は車いすバスケの選手なんですよ」
「Aha(へぇ)」
「それで、今度のバルセロナのパラリンピックの
代表を目指してるそうなんです」
「Paralypicって、Olympicの障害者版の?」

哀しいかな、当時のオレの理解はその程度だった。

「といっても、それほどのトップ選手でも
車いすで使えるジムってのは限られてるから
こうしてうちでトレーニングしてるんですけど」
「でも、そんなにすごいathleteなら
handicapを負う前もさぞかし活躍してたんだろうね」

すると、トレーナーが一瞬浮かべたのは
困ったような苦笑いだった。

「高校時代は野球部だったって話は
聞いたことがありますけどね。それでも
県予選で2回勝てば良い方の学校だったそうですよ。
でもその後、交通事故で大やけどを負って
片足も切断して……」

つまりは、もしそのアクシデントに遭わなければ
彼はごくごく平凡な、せいぜいたまの休みに
草野球に興じるような人生を送るはずだったのだろう。
だがその事故が、皮肉にも彼をアスリートとしての
栄光の舞台に手が届くまで押し上げることになったのだ。

いったい、どちらの方が彼にとって幸福だったのだろうか……
それは、赤の他人であるオレにとって推し量ることも難しかった
いや、そうすべきですらないだろう。だが
その真っ直ぐな眼差しに、そして隠そうとしない傷跡に
オレは勝手に一つの確信を得た
彼にとって、そのような“if”は考えるに値しないと。

“Joy and sorrow are today and tomorrow
(喜びの今日、哀しみの明日)”という言い回しが
英語にはある。日本語でいえば「サイオウがウマ」だろうか。
でもそれは“Sorrow and joy are today and tomorrow”ともいえる
哀しみの後には、何かしらの喜びが続くものなのだ
その「哀しみ」がなければ決して得られなかったであろう「喜び」が。

トレーニングジャケットのジッパーに手を掛ける。
中にはTシャツ、当然ショートスリーヴの先には
彼以上に生々しい跡が続く。

「いいんですか?」
「ああ」

同じくスマイルで続く言葉を遮った。
これが街中なら決してそんなことはしないが
ここでなら、これくらいの傷跡はあって当然なくらいだ。

いくら悔やんだところで過去は変えられない
もしあのとき、エンジェルダストを打たれていなければ
このこんな酷い火傷を負わなければと
どんなに“if”を並べたところで
この腕はもはや二度とキレイになることはない。
それに、オレだって皮肉なことにADを打たれていなければ
とっくに天国へと旅立っていただろうし。
今はただ、このボロボロの腕でできることを
懸命に探していくしかない――
見つかるだろうか、オレにとっての『栄光の舞台』が。

――ああ、そういえば子供の頃
 クラーク・ケントに憧れてたんだよなぁ。

もう20年以上も忘れていた夢に、思わずクスリとなる。
もっとも、2週間も経てば次の何かに飛びつくような
そんな子供の気まぐれだったけれど――
案外、それもいいかもしれない。
あの頃の、幸福な少年時代は遠く過ぎ去り
ありとあらゆる地獄を這いずり回ってきたからこそ
見えるもの、書ける何かもきっとあるはず。

でも、その前にジャーナリストも身体が資本だ。
短い休憩を切り上げると、オレは再び
彼に負けじと、トレーニングにとりかかった。

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