【95/hundred】うきよのたみに

おほけなく うき世の民におほうかな
わが立つ杣に墨染の袖

アパートの屋上から眺める、見慣れた新宿の街並み。
吹き始めた木枯らしがこの街から雲という雲を
追い払ってしまったようで、頭上には青空が広がる。
でもその景色が寒々しく見えるのはあたしだけだろうか
暖かい上着を奪われ、北風に無防備に晒され
凍えているかのように。

その灰色の風景に、撩の眼差しが重なる。

あれは何日前のことだったろうか、やはり寒い日で
それでも、同じように寒風吹きすさぶ
冴羽商事の経営状況を打開するために
あたし“たち”は駅前でせっせとビラを撒いていた
が、仕事そっちのけでこっちが本業と言わんばかりに
道行く美人にあいつが声をかけまくるのはいつものこと。
けど、その動きがぴたりと止まった。
大型ビジョンのニュースに映し出されたのは
この世界のどこかの悲惨な戦場――
東西を二分する『壁』が消えたというのに
いや、だからこそなのかもしれないけれど
この世に紛争の種は未だ尽きることはない。
その中でもひと際目を引く、平和な街に不似合いな映像
それを見上げる撩の眼は、まるで何も映していないかのように
凍りついていた。

――いったい、あたしは何ができるんだろう
シティーハンターとして、撩の相棒として……
そう考えを巡らすたびに、いつもいつも
無力感に苛まれてしまう。
百発百中の銃の腕前があるわけじゃないし
トラップだって素人に毛が生えただけ
そして――あのときだって撩に何もしてあげられなかった
大型スクリーンの惨状に立ち竦むパートナーに。

そのとき、何かがアイスブルーの空へと舞い上がっていった。
方角としては御苑の方だろうか。鳶かと思ったが
距離的にもう少し大きな鳥かもしれない
――もし、空を飛ぶことができたら
そんなことが唐突に心に浮かんだ
その翼できっと誰かを救えるのに、と。

「――ペンギンが空を飛ぼうなんて思うんじゃねぇぞ」

背後からぐさりと声が飛んできた。

「リョオ!」
「おまぁ、勝手に射撃場使っただろ」

ぎくり、と肩が跳ねる。あれから居ても立ってもいられず
ローマンを掴むと的へと向かったのだ
あたし一人では使うなと厳命されていたにもかかわらず。
せめて、少しでも腕を上げたくて
撩の力になるために。

「念のために見てみたら、コンクリの柱が抉れてたぞ」

と言いながらつかつかとあたしの傍に歩み寄り
屋上の縁、すぐ左の真横に立ち手摺りを掴む。

「まぁ、幸い鉄骨までは被害は無かったが
せめて的紙の中に当てられるようになってからにしろよ
1人で練習するのは」

撩の言葉に無力感が嫌でも広がっていく
目の前の景色が涙で歪む
こんな自分にパートナーの資格があるんだろうか――

そのとき、冷え切っていた左手が暖かいものに包まれた。
それだけで心の奥の硬く、冷たいものが
ゆるゆると融けて小さくなっていく。

「俺だって、魔法が使えるわけじゃない
できないことなんか山のようにあるんだ」

撩の手のひらの温もりに、あのときのことが脳裏に蘇る。
呆然と立ち尽くす彼に、あたしはただ
その手を握ることしかできなかった。
すると撩は、何かから引き戻されたように
驚いた眼をあたしに向けた。
もし、あのときの撩が今のあたしと
同じものを感じていたのなら……

「だからお前も、できないことを
無理にやろうとするな」

そう、あたしは空を飛べないし
撩のような腕も知識も無い。
でも、翼は無くても二本の足がある
それで歩いていけばいい
ひとっ飛びで行けるところでも
長い道のりを一歩ずつ。
その道に、たとえどんな苦難が
待ち受けていようとも。

「でも、努力は認めてよね」
「柱に当てなくなったらな」

けど、もしこの背中に翼を貰えるのなら――

大空を飛ぶためじゃなく
この街を覆えるだけの 翼があれば

TUBE 方舟 歌詞 - 歌ネット