究極のトースター

新宿駅東口の伝言板まで依頼が無いか見に行くのは
ママの仕事でもありパパの仕事でもあり
あたしの仕事でもあったり、要は
「見に行ける人が見に行く」ということなのだが
その日たまたま見に行った帰り、
駅前の某大型家電量販店から
荷物を小脇に抱えて出ていく
幼馴染みの姿を見かけた。

小脇といっても、父親譲りの逞しい体格を
持て余すようにしている彼のこと
あたしだったら両手で持ち運ばなければならないような
大荷物だって平気で片手で抱え込むことができる。
いま彼が持っている箱も
まさしくそのようなサイズだった。

「ひーろとっ、何買ったの?」

彼のような、見た目に似合わぬ心優しき小心者ならずとも
新宿の雑踏の中でいきなり後ろからそう声をかけられれば
一瞬ぎょっとなるだろう。

「あ、もしかして新しいゲーム機?」
「お前と一緒にするなよ、ひかり」

それでも鴻人は根が根本的に優しいので
うちの悪魔のような従兄のように
無視したり冷たくあしらったりはしない。

「オーブントースターだよ」
「トースターって、鴻人ん家の壊れた?」
「そうじゃないけど……ほら
テレビとかで話題になってるだろ?
究極のトースターって」

ああ、確かに聞いたことがある
完璧な温度制御とか何だとかのおかげで
かりっ、さくっ、ふわっ、もちっ、の
バランスがこの上ないのだとか。
あたしも一遍、そのトースターで焼いたトーストを
食べてみたいと思うのだが、あいにくながら
我が家のオーブントースターはまだまだご健在だ。
小学生くらいの頃から家にあったはずなのに
当然ながらメーカーの保証期間も
とっくに過ぎているにもかかわらず
ママの扱いが良いのか、安物のくせに
のぞき窓が煤けて真っ黒でも未だに壊れる気配は無く
よって買い換えるのも当分先になりそうだ。

「でもなんで」

伝言板を見に行った後はCat's、というのが
パパもママもあたしも共通の行動パターンなので
そのまま鴻人についていく。けど彼は
あたしとは違って食いしん坊というわけでなく
自分が食べたいからというだけの理由で
わざわざ高いオーブントースターを買ったりはしない、が――

「あっ!」

彼とは長い付き合いだ。その一言だけで察しがついたらしく
海坊主さんそっくりに、耳まで真っ赤にして
大きく広い背中を狭めるようにうなだれた。

「美樹さんへのプレゼントかぁ」
「そうだよ、悪いか」
「でもそれ買ったお金って、Cat'sのお給料でしょ
結局巡り巡ってるだけじゃん」
「いーんだよ、そこに気持ちが上乗せされてるんだから」

そう照れてむくれる横顔が、ふと
一番身近な男の人に重なった。
きっと美樹さんは、これっぽっちも
「あれが欲しい」とは言っていないんだろう
テレビや雑誌を見ながら、美味しそうだなぁなどと
いった一言をこの孝行息子は聞き逃さなかったはずだ。
それが何ヶ月前のことであろうとも決して忘れることはなく
今日、この誕生日に嬉しいサプライズとして用意する。

でもその対象が、恋人や奥さんではなく
母親っていうのをとやかく言う連中もいるだろう
やれマザコンだの気持ち悪いだのと。
けどあたしは、少なくとも鴻人に対しては
そんなことは微塵も感じなかった。
長い付き合いだからというのもあるけど
そういうやつなのだ、こいつは
家族思いで、友達思いで
ときどき自分のことなどおかまいなしに
周りのことに首を突っ込んでしまう
気は優しくて力持ち、なのだから。

「こんちわー♪」

と、当家の息子をそっちのけで
まず真っ先に店のドアを開けた。

「あらひかりちゃん、いらっしゃい」

店番は美樹さん一人だけのようだ
そしてお客は――
あたしの後ろから、自分の家だというのに
注意深くきょろきょろと店内を見渡す。
ちょうどランチタイムが終わって
いったんお客が出払った頃合のようだ。
茶々を入れたがる余計な常連オーディエンスもおらず

「母さん、誕生日おめでとう」

と、ちょっとだけ赤くなりながら
それまでずっと小脇にかかえていた箱を
両手で差し出した。

「重いから気をつけて」
「あら、何かしら――あっ!」

予期せぬ喜びに顔がほころぶ。

「ありがとうね、鴻人。こんないいもの貰っちゃって
――さっそく、みんなで焼いてみようかしら♪」

と言うと、美樹さんは店の奥に置いてあった
古びたオーブントースターをよいしょと持ち上げた。
その電源プラグが刺さっていたコンセントに
新しい後釜を繋ぐ。

「あれ――そこに置いておくの?」
「そうよ♪ だってもったいないじゃない
究極に美味しいトーストを
家族だけのものにしておくなんて」

自分の給料で思わぬ設備投資をしてしまった
Cat'sの従業員兼跡取り息子は苦笑いを浮かべる。
でも、この母にしてこの子あり
というか、あたしたちの周りの母親たちは
基本的に過剰なほど優しい女性ばかりなのだ。

「だったら母さん、うちのトースト
ちょっと値上げしたっていいんじゃない?」
「そんなわけにはいかないでしょ」

と言いながら、美樹さんは笑みを浮かべながら
食パンに厚めに包丁を入れる。
そしてそのスライスをトースターにセットすると
サイフォンの支度を始めた。
これでまたCat'sの名物が一つ増えたかもしれない
美味しいコーヒーと、心優しき店主一家に加えて。

2万円超える「高級トースター」の“実力”を試してみた! (1/2) 〈ASAhIパソコン〉|AERA dot. (アエラドット)