Delivery Boy, Delivery Girl

炊飯器が炊き上がりを告げる音でふっと我に返った。

事の発端は今日の昼間、Cat'sでのやりとり
美樹さんに少し元気が無かったのが気になった。
聞けば、最近お店に通い始めたマダムの
不躾な一言がきっかけだったとのこと。

「帝王切開だと母性が足りないなんていうのは
単なる迷信よ、真に受けることないわ」

そう専門家として、友人として
かずえさんが熱心にカウンター越しに語りかける。
そもそも、鴻人君が父親に似たのか
お腹の中ですでにあまりにも大きかったので
カイザー一択だったのは周囲は皆承知のこと。

「だいたい『お腹を痛めた』っていう点では
帝王切開の方がよっぽど痛い思いしてるわけじゃない」

それもそうだ、ってあたしには盲腸ぐらいしか
経験はないのだけれど、それでもしばらくは
手術の跡はしばらくしくしくと痛かった。

「それに、虐待とかネグレクトが多いだとか
そんな信頼に足るデータなんか無いんだから、ね」

と、理性と感情の両方に訴えかけるかずえさんの言葉に

「そうよね、この傷はあたしの勲章だもの」

美樹さんも少し元気を取り戻したようだった。
――でも「お腹を痛め」ないと母親になれないというのなら
あたしの「子供」は一人だけということになるのだけれど。

「ご飯が出来たわよー」

そう呼ばれて台所まで飛んでくるのは一人しかいない。
指示が無くても秀弥くんはてきぱきとお茶椀を取り出し
お箸をテーブルに並べ始める。撩のために
冷蔵庫から缶ビールを取り出してくれるというのが
涙がちょちょ切れるじゃないの。

それも、他人様の家にお世話になっているから
気を遣って、ということじゃないかと
こちらが気を遣いたくなるようなこともあったが
何てことは無い、自分の家でもそうやってるとのこと。
それはアニキたちの育て方が良いのか、それとも
両親揃って忙しいと自ずとそう育つようになるのか。

率先して忙しく立ち働くのも性格ならば
父親同様、リビングでぎりぎりまでだらだらしているのも
「性格」なのだろうか……その父親曰く
普段あたしが何から何までやってしまうのが
却って良くないとのこと。とはいえ
仕事が忙しいときならともかく
今日みたいに余裕のあるときは
ちゃんとやってしまいたくなるのだけど
これもやっぱり「性格」なのだろうか。

「ウェイトレスさーん、ウェイトレスさーん」

と呼べば、該当者は一人しかいないわけで

「じゃあこれ、お願いね」

そうオーブンから取り出したトレイをずっしりと託す。
30分は冷ましてあるのでもう熱くはないはずだが

「えっ、ロースト――」
「ポークなの、残念ながら」

といっても、肉の丸焼きはこの食べ盛りにとっては
充分なご馳走であるわけで、小躍りしながら
テーブルへと運んでいく。その歓声に
ようやく最後の一人も重い腰を上げたようだ。

「あ、撩。あんたもお願いね」
「お願いって、何が」
「こういうの切り分けるのは『家長』の役目っていうでしょ」

と、おだてすかしながらナイフを手渡す。

「にしてもずいぶんなご馳走だなぁ」
「だって今日は秀弥くんの初段のお祝いだもの」
「そんな大げさだよ。小さい頃からやってたってだけだし」

ポーカーフェイスに齢相応の照れを隠しながら
秀弥くんは謙遜してみせる。

「それに、そのうちあいつら(両親)が祝うんじゃねぇの?」
「そのうちったって、1ヶ月とか経っちゃったらねぇ。
それに、あたしたちだって応援してたんだから。そうでしょ、撩?」

剣道だけじゃない。彼の成長する姿をずっと
単純に時間だけでいえば実の両親より長く
傍で見守ってきたのだ、あたしたちは
今ではこの子がただの甥であることを忘れてしまうほど。
それは決して、この子の父親であるアニキが同じように
血の繋がりの無いあたしを育ててくれた恩返し、というほど
堅苦しい話ではなかった。あたしたちにとって
ひかりと一緒に秀弥くんの面倒を見ることは
自然なことなのだ。きっと、アニキもそうだったように。

「けどさぁ、これじゃあいつが妬くんじゃねぇか?
秀弥ばっかり祝ってもらってずるいって」
「まぁ、それもそうよねぇ……ひかり!」

切れ端をつまみ食いしようとしていた背中がぎくっと揺れる。

「そういえば今度、英検だったわよね」

それはもちろんあの子から直接聞いたわけじゃない。
でも同学年の子が周りにいれば、いくらでも
そういったことは耳に入ってくる。

「英検ったって、そんなの実際のところ
大して役に立たないっていうし……」
「誰が言ってたの? ミック?」
「ジェイク……」
「だったらTOEICだっけ、受けてみる?
もっとも、大学生が受けるようなのだけど」
「受けます、英検受けます!」
「よし、じゃあ合格したらサーロインステーキね♪」
「おぉっ!」

文字どおり、ひかりの目の色が変わった
ダークカラーの瞳に澄んだ輝きが宿る。

「よし、パパも応援するからなっ」

と現金にも撩も肩に手を回す。

「でもまだ空手の昇級試験の方がよかったなぁ」
「何言ってんの。そっちは始めたばっかじゃない」

とはいえ、勉強よりそっちの方が有望そうなのは
どっちに似たのだか。

「じゃオレの参考書貸してやるよ」
「いい、どうせ秀弥の書き込んだやつなんか
秀弥レベルじゃないと判んないもん」
「ならオレも一緒に付けちゃる。ならいいだろ」

不服そうな撩に「サーロインステーキ」と
口の形だけで釘を刺す。

もちろん、勉強さえできればいいってわけじゃない
(できてもらえばそれに越したことはないけれど)
それより勉強でもスポーツでも、一つの目標に向かって
がむしゃらに頑張った経験こそが、きっと財産になる
あたしだってそうだったのだから。
そして、それを近くで見守るための資格に
血の繋がりなど関係ない。あたしはそう信じてる。

「――ひかり、英検受けるって槇ちゃんに言ったら
きっと旨いもん奢ってもらえるぞ」
「パパ、それマジ!?」

不適切発言:「自然分娩の方が愛着」 小学校教諭、授業で - 毎日新聞