LOVE BEACH

――夏ともなれば渚を駆け抜け

「ねーねー、そこのビキニのもっこりお嬢さんたちィ
サンオイルか日焼け止め、撩ちゃんが
塗り塗りしてあげよっか♪」
「くぉらぁ、リョオ! ビーチの風紀を乱すなっ!」

「撩ちゃんもっこりー♪」を連発する渚のオオカミ野郎と
(間違ってもオオカミ“中年”と呼んでくれるな)
その退治に全精力を傾ける天敵・新宿ハンマー娘との
今や眠らない街の名物ともなった攻防戦がこの季節
とあるビーチに舞台を移して繰り広げられるのも
すっかり年中行事になりつつある。
そもそもここは、湘南屈指のナンパビーチとして知られるところ
水着ギャル目当ての俺みたいな奴は
他にもゴロゴロしているのだが――

「――あんにゃろ、どこへ行きおった
こうも人が多いと……」
「っふう、どうやら香のやつは撒けたみたいだな
さーて、鬼の居ぬ間に……ぐふっ♪」

泣きっ面に蜂、とはよく言うけれど
どうやらラッキーも一人ぼっちでは転がり込んでこないようだ。
振り返って、文字どおりの後顧の憂いが無いのを確認し
視線を前に向けると、目の前のパラソルの陰に
掃き溜めに鶴とはまさにこのこと
絵に描いたようなもっこり美女が
デッキチェアに横たわっていた。

緩やかかつ奔放な、ダークカラーのウェービィヘア
それとくっきりしたコントラストを描く肌は
この日差しの中でもUVケアは欠かしていないのだろう
そして黒のビキニというのも何ともたまらない
ホルタ―ネックのトップスからは
たわわなバストがこぼれんばかりだ。
表情はレイバンに覆われぱっと見では読めない
ただ、そんなモノトーンの中
真っ赤なルージュだけがパラソルの影から
浮かび上がるようだった。

「――失礼、パラソルが曲がっているようだったから」
「あら、そうだった?」

サングラスは微動だにしないまま
真紅の口唇だけが動く。

「もうだいぶ日が傾いてきたみたいだからね。
昼頃までは影になっていたかもしれないけど
あのままじゃ日除けの意味が無くなってたところだったよ」
「ずいぶん気が利くのね」

少しだけサングラスをずらした。
くっきりとした目元に長い睫毛
こういう気の強そうな美人が苦手という男も
少なくはないようだが、俺は大好物だ
真夏の海で出逢うならなおさら。

「隣は先約済みかな?」
「なんでそんなこと訊くの?」
「当たり前だろ? こんな美人が友達も
ボーイフレンドも連れずに海だなんて
普通は考えられないもんさ」

とはいえ、パラソルの下には彼女以外は
籠編みのトートバッグと、その口を隠すように
掛けられたエスニック柄のパレオ
つばの広い黒の麦わら帽子――彼女のものと思しき荷物だけ。
断りなしにパラソルの影、デッキチェアの隣の
砂の上に座り込むと、彼女から向けられたのは
しげしげと、まるで値踏みするような眼差し。

「背は――申し分ないわね、むしろ120点。
ねぇあなた、年収はどのくらい?」
「ね、年収って……」

どこまで言っていいものか、こう見えて稼ぎは
世間一般の平均以上だ。もっとも“月収”では
どうしてもバラつきが出てしまうが。
それに、相棒にも言えない報酬まで含めるとなると……
だがそれは今日逢ったばかりの素人に言える額ではない。

「じゃあ、どこの大学出くらいかは言えるわよねぇ
なんなら当ててみましょうかしら?
W大って感じじゃないわよねぇ……K大?
いやまさかこう見えてT大とか?」

――勘弁してくれよ、俺がそういう“普通の”男に見えるわけ?
いや、普通の人間には“普通”にしか見えないんだろうな
普通に学校に行って、普通に働いて、そして
こうして“普通に”海でナンパして……
それでもなおも彼女は、まるで視線だけで穴を開けそうなほど
デッキチェアの上から舐め回すように俺を見つめる。
彼女が吟味しようとしているのは
『一夏の恋』のお相手としての俺ではなかった。
座ったまま2歩、3歩とパラソルの外へと後ずさる。

「見ーつけた―」

と、鬼ごっこの鬼らしからぬ低いハスキーボイス。

「撩、どこへ行ってたの?」
「――ちょっとそこまで愛の探し物」
なんてね。

まさに前門の虎、後門の狼。猛獣2匹に挟み討ちの
可哀そうなウサギちゃんは――

三十六計逃げるに如かず!

と、文字どおり脱兎の勢い。

「くぉらぁ、待たんかリョオーっ!」
「待てって言われて待つバカがどこにいるんだよっ」

と、すっかりナンパビーチで今日一番の注目の的
中にはひゅーひゅーと囃し立てるような声も。

――ケンカするほど仲が好い、って見えるのかねぇ

そうふと立ち止まると、クルマと香は急に止まれない
勢い余って突っ込んでくるわけで、しかもハンマーごと【泣】

「りょおっ、大丈夫?」

思いっきり砂に突っ伏した俺を覗き込む表情は
さっきまでの般若の形相とは打って変わって
素のままの香そのものだった。

「ああ――でもやっぱ間違ってるよな
真夏の海で永遠の愛を探そうってのは」

そう起き上がって香に向き合うと
あいつはきょとんとした眼で俺を見ていた。

確かにここは出逢いの宝庫だ
だが真夏の日差しで“見る眼”も熱射病
身も心も太陽に浮かされた結果の恋では
冬すら越せるわけがない
街で見かければどんな男も女も
何かが変わってしまうものだから。

その点、俺らはそんな真夏の浮かれ気分とは
対照的な都会の眼差しの中で
お互いの短所も欠点も
嫌というほど目にしてきた。
恋の季節の誘惑とは正反対に
最初からそういう対象として見ていたわけじゃない。
それでもなお込み上げてくる想いというのは
きっと正真正銘のものなのだろう
真夏の夜の幻ではなく。

「ねぇ、撩……」
「なんだ?」
「やっぱりさっき、頭打ったんじゃない?」

と本気で心配してくれる香もまた
この真夏の海で数少ないシラフな一人なのだろう。
ならきっと大丈夫だ
この熱い太陽もいつかは沈む
今年の夏もいつかは終わる
でも俺と香は夏が終わっても、また次の夏も
今日と同じようなふざけた追いかけっこを
繰り広げてるんだろうなと
夏に浮かされた頭でそう確信した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170702-OYT1T50012.html