定点観測

「じゃあ、そろそろ記念撮影するか」

と撩が言えば宴はお開きの合図。

「おいおい、それで撮るのかよ」

奴が構えたのは携帯電話で、

「だったらこれ使え」

そう言って俺が手渡したデジカメは
四角くコンパクトなお手軽タイプ。
だったら最近の携帯と
機能としては変わらないかもしれないが
こういうものはまず形や道具立てが大事。

「じゃあ撮るぞー」

との声で、その場の全員が撩を残して
さっとカメラの前に――というのではなく
それをきっかけに、出席者はきれいに二手に分かれた。

毎年恒例の、冴子の誕生日パーティ。

なぜかそこには毎年、妹家族の姿があった。
香には「今日の主役を働かしちゃダメでしょ」と
出張シェフ、という名目がある。おかげで
テーブルの上にはほんの数時間前まで
冴羽家では滅多に登場しないであろうという
ご馳走がずらりと並んでいたが
それもすでに粗方、この場の面々の胃袋の中だ。
そして、両親と一緒に可愛い姪が来てくれるのは
俺も冴子も有難いことだが、彼女本人の目当ては
一番はこのご馳走だろう。

この二人も、撩の声ですっと彼の後ろへと下がった。
一方で今日の主役は、欠席の次妹からの詫び代わりの
ワインを片手に、頬をほんのりと染めながら
すっと撩の反対側、俺の隣へと席を移った。
もう一人――世間でいうところの「微妙な年頃」の
秀弥も、表情一つ変えることなく
主役がセンターになる位置に納まる。

母親の誕生日の記念撮影、というのも
気恥ずかしい年頃だろうが
彼にとってそれも当たり前の年中行事なのかもしれない
正月に初詣に行ったり、クリスマスに
プレゼントのやりとりをするのと同じように。
だがそんな「当たり前」にも遡れば必ず
当たり前でなかった頃があったはずだ、
それが記憶や記録に残っているか
そうでないかの違いだけで。
もちろん、槇村家の伝統などというものは
容易に遡ることができた。

「ハッピーバースデイ、冴子さん!」
「よぉ、お前もいよいよ四捨五入して40か?」

仕事から帰ってきて、マンションのドアを開けた途端
この二人が顔を出せばいくら彼女でも驚いたはずだ。
その真相は、数時間前に「今日あいつの誕生日だろ」と
パーティの支度をぶら下げてずかずかと上がり込んだ
ということなのだが。

でも、正直来てくれて助かったとも言える。
記憶を失い、7年間姿を消していた俺が
新宿に、彼女の元に帰ってきて初めての冴子の誕生日。
どうせなら洒落た店でディナーなどといきたいところだが
まだ復職前の無職の身、先立つものは持ち合わせていなかった。

おかげでテーブルの上には高級レストランに勝るとも劣らない
(というのは決して兄の欲目ではない)ご馳走が並び
女を笑顔にさせることにはプロといっても過言ではない
撩のおかげで、和やかにパーティは進んでいった。

「あ、そういえばカメラ持ってきてたんだ」

と香はバッグから小ぶりのカメラを取り出した。
――まだ教授のところで療養中の間
香に写真を見せてもらったことがあった
俺が不在の間のよもやま話の挿絵代わりに。
意外なことに、撩もそのアルバムの中に
しょっちゅう写り込んでいた
(なので本来は門外不出扱いのはずなのだが)
ページをめくりながら、香と撩が重ねた
7年の月日に思いを馳せると同時に

――その間、冴子のアルバムは
一枚も増えることがなかったんじゃないか?

そう思うとやるせなさばかりが募った。
もちろん彼女にも同じ7年の歳月が流れていた
俺がいないなりにもそれなりの想い出があったはず。
でもそこには、愛する人の姿は無いのだ――

そんな悔恨を、妹は敏感に察したのだろうか。

「カメラだけ持ってきたって、フィルム終わっちまったら
それで終わりだろ」
「だいじょうぶ、ちゃーんと替えも持ってきてあるから」

その言葉どおり――血中アルコール濃度と比例するのか
パーティが進むにつれて香は、ときに撩も
ばしばしとシャッターを押していく。そして
いつしか替えも含めて残り枚数もあと僅かとなっていた。

「あー、写真これでラスト1枚だ」
「だったらみんなで記念撮影にしよう、お前も入って」
「セルフタイマーで?」
「ああ」
「アニキ、そんなことしたら撩が絶対に
何かイタズラしかけて写真ダメにするって決まってるって。
だから、最後は今日の主役」

そう冴子にレンズを向ける。
すると、やはり頬をほんのりと染めた冴子が

「だったら一緒に写りましょうよ」

と、「警視庁の女豹」に似合わぬ猫撫で声で
俺の腕にしがみつくとファインダーの中へと抱き寄せた。

「じゃいくよー、はい、チーズ!」

最後の一枚は無駄にならずに済んだようだ。そして、

「なぁ冴子」
「なに?」
「また来年も、一緒に写真を撮らないか
君の誕生日に、来年も、再来年も二人で……
いや、もしかしたら人数は増えるかもしれないが」

はっきりとしたプロポーズはまだしていなかった
復職も決まったとはいえ、先行きは不透明なまま。
でもこの瞬間だったかもしれない、決意が固まったのは
(もちろん後からきちんと求婚はしたさ、指輪も用意して)

その言葉どおり、冴子の誕生日にこうして
記念撮影をするのが我が家の習わしとなった。
更に一人加わり、その前年には
少しお腹の大きくなった冴子の姿も。
秀弥も赤ん坊から次第に成長し
と同時に生意気にもなっていき――

「ったく、相変わらず秀弥のやつ
写真うつり悪ぃな」

液晶画面を覗き込みながら撩が苦笑いを浮かべる
――これも、あの頃との大きな違い
枚数を気にする必要はほとんどないし
変なものを撮ってしまったら
その場で消してしまえばいい。

「あら、そんなことないわよ。写真うつりが悪くても
本物はそれ以上に充分ハンサムなんだし」

と母親は太鼓判を押すが、俺としては
撩の意見にも同意したいところでもある。

「じゃあ槇ちゃん、後でプリントとデータ」
「ああ。悪いな、撩」
「いいってことよ、昨日今日ってわけじゃないんだから」

そう、やはり撩の言うとおりだ。
この定点観測が切り取っているのは
決して長くはない、我が家の歴史。
そしてそれは、運が良ければこれからも
積み重ねられていくはずだ。
そのうちまた二人だけの写真になるかもしれないし
もしかしたらさらに一人増えるかもしれない
その「一人」は俺たちの知っている顔
――今この場にいるのか、それとも……

「ねぇあなた、また来年も撮りましょ」

あの頃と同じような猫撫で声で
俺の腕にしなだれながら冴子が囁いた
――あのときよりもっと偉くなってるんだがな。
でも俺も同じ気持ちだった。また来年も
こうして同じようにこの日が迎えられんことを――。