つばめのおやど

「あっ」

表通りから一本入った、サエバアパートの非常階段が
面する狭い路地を、文字どおり燕尾服のような
尾羽を翻して、初夏を告げる鳥が颯爽と通り抜けた。
だがそれは、あたしにとってはそんな爽やかなだけの
光景ではなくて――

「あーあ」

後を追えば行き先はやっぱり我らがアパート
その外壁の、ちょうど非常階段の軒下に
乾いた泥がわずかにへばり付いていた。

「ったく、今年も懲りねぇもんだな」

と、あたしより頭一つ分高い位置にある顔が
にゅっと頭上からせり出してきた。

「うちには天敵がいるっつーのに」
「天敵って?」
「鳥の天敵っていえば蛇だろ? だからコレと」

そう言って、今日は背中のベルトに挿してある
パイソンにジャケットの上から手をやる。

「何それ、駄洒落じゃない」
「お前だってヘビ年じゃねぇか」
「ま、それはそうだけど……」

だからというわけではないが、確かに
我が家とツバメとの相性は決していいとは言えない。
彼らが巣を作って居つくとなると、付いて回るのがフン害
なのでまだ巣らしい形になる前に、せっせと
壁についた泥をこそげ落とさなければならない。
これがさすがに完成して、その中に卵を産みつけられようものなら
あたしだってその巣を叩き壊すのは忍びないのだから

「まぁ、今年は隣のビルは外壁工事しちまったしなぁ」

そう言って撩は、狭い路地を挟んで向かいに視線を遣った。
築年数はうちとは変わらないその建物は
オーナーの懐は我が家よりも余裕があるようで
外装だけは新品同様のツルツルのピカピカに生まれ変わった。
おかげで、ツバメがいくら泥を擦り付けても
おそらく滑り落ちてしまうのかもしれない。
その点、うちは昔も今もザラザラしたモルタルの吹きつけ
巣作りにはもってこいに違いない、
持ち主の気持ちはさておいて。

「これがまだ食べられる方の巣だったらいいのに」
「おいおい、あれはアマツバメで全然別もんだぞ」
「それだったら売れば大金になるのに」
「でも、ツバメが巣を作ると商売繁盛、とかいうけどな」

と、普段はその手の縁起やジンクスなど
全く気にしない男が珍しいことを口にする。
といっても、その長身をいいことに
ツバメとのいたちごっこの矢面に
立たされたくないだけなのかもしれないが。

だけど、それはあたしも聞いたことがあった。
ツバメが人家に巣を作るのは、人の気配が
天敵の蛇やカラスなどを遠ざけてくれるのを
期待して、だという。そして、その気配は
多ければ多いほどツバメにとって好都合だ。
だからツバメが巣を作る家=人の出入りが多い家
=商売をやっていれば繁盛している証、だといえる。
でも、うちの場合はそのほとんどが
収入にはつながらないいつもの面々なのだけれど。

「じゃ、長い棒取ってくるわ。ガレージにあるかな」

今のうちに崩しちまった方がいいだろ、と
アパートの中に消えようとする背中を

「待って」

と呼び止めた。
一瞬、脳裏に浮かんだのはテレビに映し出された
地震で倒壊した家屋と、その前で途方に暮れる人々の表情。
せっかく苦労して築き上げた我が家が崩れ去った哀しみは
人間もツバメも同じに違いないはず。

「他に行き場も無いのなら、作らせてあげようよ」
「だけど、軒下がエライことになるぞ」
「それもウンが付くってことで」
「何だよ、縁起の正体ってそれかよ」

苦笑いを浮かべながらも、撩の眼差しは暖かく

「でもフン除けに何か張っとかにゃならんだろ」

と材料を見繕いに再びガレージへと向かう背中を
今度はあたしもくっついていく。その後ろを
さっきののパートナーだろうか
もう一羽のツバメがすっと横切っていった。

今年はいつも以上に良いことがあるかもしれない。

街のツバメ、子育ての敵はヒト 巣作り妨害、農村の7倍:朝日新聞デジタル